犬にしてくれ

卑屈の森からリア充を目指して右往左往する様を克明に

いま日本のアラサー以上の女性の10人に7人は考えているだろうもやもやについて

帰りの電車で若い男の子2人が理想の女性について語っている。30歳手前くらいか、もしかしたら同い年くらいかもしれない。 

社内で付き合うのはめんどいから嫌だとか、こないだ合コン行ったけどイマイチだったとか、いっそ思いっきり年上の女がいいとか。 
わたしたちがいつもしているのも同じような話のはずなのに、この空気感の違いはなんだ。「ああもう世も末だ!」とお先真っ暗なわたしたちに対して、彼らはどうしてこうも屈託がないのか。 
 
同い年くらいなのに、奴らにはまだ未来があり、選ぶ権利があり、選択肢が無限にある。と信じきっている。 
かたや、わたしたちはもう選択肢も時間も限られている。 
 
でも、そうなんだよなぁ。わたしがもし男だったら、40歳まで遊んで遊びつくして、25歳の若い女と結婚してパパになる。 
でもわたしは女だから、もう26歳になってしまったから。そして遊びつくした40歳の男に選ばれるタイプの女ではないから。 
 
理由がわかっているけど、むかつくなぁ。それはわたしたちに課せられたリミットがこればっかりはもうどうしようもないからだ。このハンデばっかりはもう受け入れるしかないのだ。 
 
他のことなら、わたしの思うままに動かしてみせよう、と息巻いてみるも、こればかりは出口が未だに見えない。