社会的なパグ

フェミニストなのに広告会社にいる。迷いながら生きています。

生きる上で必要もないのになぜ僕らは楽しそうに踊るのか

WaT事変から数日、今でも心のどこかに穴が開いたような寂しさを抱えながら毎日を過ごしています。まだ余韻を引きずって、家でひたすらWaTの曲を聴いてセンチメンタルになったりして。まさかこんなにダメージを受けるとは。失ってから気づくとはよく言ったものです。

いつまでテレビやラジオやバンドやアイドルを追いかけていくんだろう。
最近よくそんなことを考えます。

当方、最後の昭和世代で今年で27歳になります。
周りでは結婚ラッシュが始まり、あまつさえ親になる人が出てくる。
かたやわたしは、ももクロに会いに静岡へ大阪へ、氣志團に会いに木更津へ、週末はライブやフェスに繰り出し、平日はフットワーク軽くラジオの出待ちに向かう。
気がつけば、わたしが今でも夢中なあの人は、友人にとって「昔すきだった、懐かしい!」というノスタルジーの対象になっている。
わたしだけが一人享楽的に時を持て甘し、時間の経過に気づかないふりをして歪な大人になってしまいました。
ライブ会場とは同じ志を持った者共が集いし場所ですから、別にわたし普通じゃん、みんなと一緒じゃん、という感覚に陥る。しかしふと視線を外にやれば、追っかけ活動を微塵もやらない人がいて、それは自分が思っているより多数だと気づく。

なにかにものすごく熱をあげながらも、いつかこの恋心も若気の至りになるのかな、などと楽観視していた学生時代の予想に反して、自分で遣えるお金が増えれば増えるほど活動範囲は広がっていきました。まさかわたしは、WaT解散であんなにぼろぼろ泣く大人になるなんて思っていなかった(むしろWaT解散なんて思っていなかったけど!)。
今だって、あと数年経てば落ち着いて、年甲斐もないと悩んでいたことも想い出になってしまうのだろう、と思うときもあります。ただ一方で、三つ子の魂百までという言葉があることも認識しています。

そもそも、テレビやラジオやアーティストに夢中になるってなんなんでしょう。

わたしがすきなものはざっくり括ってしまえば「エンタメ」と呼ばれるジャンルのもの。もちろん時事ネタを織り交ぜた社会派の漫才師や世界平和を呼びかけるアイドルもいますが、ざっくり言ってしまえば娯楽の世界です。
(もちろん、そのコンセプトや思想にどこかで共鳴してわたしたちは応援するわけですが、今回は「いい年して娯楽に精を出しすぎること」について考えてみます)

キュウソネコカミの「MEGA SHAKE IT !」という歌の中にこんな歌詞があります。

人は踊る 時を超えて 音に合わせ 身体揺らす
生きる上で必要もないのに 僕ら楽しそうに踊る

確かに…! 端的に言い表しすぎてぐうの音も出ません。
(音楽で飯を食ってる人が生きる上で必要ないと言っちゃうのは皮肉ですが、それがキュウソの面白いところです)

話は逸れますが、そんな生きる上で必要がない音楽が、小学生の時から学校の授業に入っていることもちょっと面白い。
極端な話ですが、音楽の先生が「音楽を勉強しておけば無人島に行っても困らない(歌って時間を潰せるから)」と言っていて、なるほど!と思ったことを覚えています。

そしてわたしにとっては音楽をはじめとする娯楽は「生きる糧」であり、そこでもらったものをエネルギーに変えて今日までを歩いて来ました。
学生時代は学生なりの、いまは社会人なりの悩みや憂鬱な現実があります。お笑いを見たりライブに行くと、その時間は悩みなんて頭からすっこ抜けていて、日常に戻ると「同じ人間があんなに輝いているのだから、わたしも頑張ろう」と気持ちをリセットして日々に向き合うことができます。「毎日がどうしようもなく退屈でも、その延長にこんなに楽しい一瞬があるなら日々を真剣に過ごそう」というモチベーションになります。
言わば薬物を投与しながら生きている状態で、一度はまったらなかなかやめられない辺りは麻薬と同じかもしれません。

麻薬ではないので非情に健全ですし、それで生活サイクルが成り立っているのだからいいじゃん、という話なのですが(金銭的には若干破産気味ですが…)先述の「いい年して」という後ろめたさが日に日に強まっていく。
「生きる上で必要もないもの」を「生きる糧」にしてしまっていいのだろうか。それは確かにロマンチックなことではあるけれども、そんなロマンを味わう年齢はとうに過ぎたのではないかと。

もしかしたら、結婚とか子供とか、新しい「生きる糧」を見つけたら変わるのかもしれませんし、結婚にも子育てにもストレスはつきものでしょうから、そのモチベーション作りのために、やはりわたしは追っかけの業を一生背負って生きていくのかもしれません。
ただここまで応援してきた過去は消えないし、すきすぎる余りに広告会社という微妙に掠ったような業界に就職してしまった自分がいたりもします。

結論としては出ないんです。すきなものをそう簡単にはやめられません。
生きる上で必要がなくても、踊りたい限りは楽しそうに踊るしかないという諦めの気持ちではあるのですが、いつかこれが若気の至りと呼ぶ日が来たとしても、その道の末に今の自分がいるという事実を抱きしめて、そこから得たエネルギーで自分が生きてきたということに感謝して、今を享受するのみです。