社会的なパグ

フェミニストなのに広告会社にいる。迷いながら生きています。

銀魂15年間の感謝を込めて

銀魂を観てきました。
あまりにも良かったので感想をつらつらと。誰かと共感し合えたら最高です。
※そんなにネタばれはしていませんが未見の方はご注意ください。


前作も相当大満足だったのですが、それを余裕で越える圧巻の再現クオリティと悪ふざけの数々!!
基本はダラダラしてて面白いのに、カッコいいところはきちんと締めてくる、というのがわたしの思う「銀魂らしさ」なのですが、映画ももうほんと笑いっぱなしだったし、バトルシーンは展開もわかっていてセリフもほぼ覚えているのにハラハラして、手に汗を握りました。


(語彙が死んでるんですけど、)もう本当に良かった。
わたしは沖田がすきなので、沖田が一人敵陣に残るも圧倒的強さで敵を蹴散らして「死んじまいなァ」と捨て台詞を吐きながらの返り血をぺろりするくだりが大好物で、そのシーンだけを牛のように繰り返し反芻して味わっているタイプの人間なのですが、映画の完成度がもうほんと…高かった…尊い


さらにトッシーなんかも、実写を観て始めて実感が湧いたというか、原作も漫画も越えたなあという感じがしました。
今までは漫画もアニメもいまいち、リアルに想像できていなかったところを、映画が補ってくれた、という感覚です。


そんな感じで昨日は一日ずっと余韻に浸っていたのですが、
ふと思ったのは、この実写の成功はまずはアニメの成功なくしては有り得なかった、ということです。


まず素晴らしい原作漫画があり、それを支えるファンがいて、原作の良さを見事に捉えながらもアニメとして昇華したすごいスタッフがいて、その先に今があるのだなあと勝手に感慨に耽ってしまいました。


わたしの大すきな「死んじまいなァ」だって、まずアニメ化されたところで一度進化してるんですよね。
映画を観終わって漫画を読み返したのですが、漫画では沖田は意外とさらりとこなしているのです。
そこをアニメのスタッフがダイナミックにアレンジして、沖田が「一斉に斬りかかれ」で叫んだり、強弱がついたりして、より迫力のあるシーンになっているわけですよ。
あのシーンはアニメを挟まないとああはかっこよくならなかったかもしれない。多分アニメをものすごく研究されたと思うのですよね。
パンフレットでも吉沢亮くんがそこを頑張らないと原作ファンに怒られる、という話をしてて、わかってる~!!と嬉しくなりました。


吉沢くんに限らず、
原作がどれほどファンに愛されてここまで来たかを、みんながわかっているからこそ、ここまで辿り着いたんだなと。
原作が、時には歴史上の偉人に祟られながら、蓮舫にマジで怒られながら、それでも悪ふざけをやめなくて
アニメがそれに呼応して、「放送コードがなんぼのもんじゃい」と限界ギリギリの演出に挑んで
わたしたちはそれが大すきで、毎週の楽しみで、愛してきました。


そのうねりの中で実写をやるというのは並々ならぬ覚悟ではあるけれども
映画に関わったみなさまが、これまでの歩みを理解してくれて、研究してくれて、咀嚼してくれて、役者もスタッフも全てが一丸となって越えていこうとした結果であるということが、観ていてものすごく伝わったんです。
本当に嬉しかったなあ。


自分の大すきな作品がこんな風に周りからも愛されて、ものすごくかっこよくなって帰ってくるという
そんな作品をすきになった自分も誇らしいです。


銀魂の連載開始時から共に歩めたことを嬉しく思うし、これからもずっとずっと大すきな漫画です。