社会的なパグ

フェミニストなのに広告会社にいる。迷いながら生きています。

有名になるということ

同性婚の訴訟が佳境を迎えている。
憲法が保障する「婚姻の自由」は同性カップルにも適用されるべきだ、と主張し、何組かの同性カップルが国を相手に訴訟を起こしている。それに対して、国はあの手この手で反論している。ほとんど屁理屈で見苦しい限りであるが、挙句の果てには「同性カップルと、結婚した異性カップルを同等の関係と社会が見ていないため同性婚が認められなくても問題ない」という差別発言まで飛び出した。

「同性カップルと異性カップルは同等と見られていない」国が新たに主張【同性婚訴訟】 | ハフポスト

こんな発言までして無理にでも抗おうとする、明らかに国の方が分が悪い。

こういう裁判では世の中の声も重要視されるようで、さらに追い風として大きな世論を形成していければいいのだけれど、無力な一般ピープルであるわたしにできることなんて限られていて、ツイートしたり、RTしたり、デモに行っても所詮は微風である(もちろん、その積み重ねが大きなうねりを生むんだから、この微弱な運動だってやめるわけにはいかないのだけど、微風は微風なので無力に感じることもある)。

同性婚の実現を目指し活動する「Marriage For All Japan」では、ぜひ有名な方から発信をしてほしい、その拡散できる力をぜひ貸してほしい、というツイートをしていた。

 

先の衆院選でも有志の俳優たちが投票に行く呼びかけを行って話題になっていたが、こういう拡散力のある人たちがたくさん発信をしてくれれば、一般人ももっと世の中に興味を持てるようになるんだろうなと思う。素敵な取り組みである。

 

さて、わたしにもひとり芸能活動をする友人がいる。
その子にもぜひこの問題を知って欲しい、ぜひ拡散してその子のファンの人たちに届けてほしい、と思った。しかしその思いと相反して、彼女に連絡するのはめちゃくちゃ躊躇った。

そもそも、彼女が芸能活動しているのは社会的なメッセージを届けるためではない。
スポーツ選手がただスポーツが好きだから選手になるように、俳優は演技をしたいから、歌手は歌を歌いたいから、モデルはファッションが好きだから、という理由で活動していて、それに感動するのは受け手の勝手な行動でいい、と常々思っていた。
(オリンピックの選手が「感動を届けたい」とか言うたびに大きなお世話だと思っていた)

なのに、わたしがここで彼女にお願いして投稿してもらうのって、めちゃくちゃ彼女の努力にたかっていないだろうか。
なんだか、芸能活動する人に「●●紹介してよ~!」というくらいさもしいことをしている気分になった。

ということで、本当に躊躇した。
したんだけど、
結局はこの問題を一人でも多くの人に知ってもらいたい、という藁にも縋る思いが勝って、わたしは連絡することにした。もしかしたら本当に興味を持ってくれるかもしれないし、彼女がだめだったとしても、周りの人に話題を広めるきっかけになればそれはそれでプラスになると言い聞かせて。

めちゃくちゃ「もしよかったら」を多用した、超腰の引けた文章を送ったところ、彼女からは「事務所に聞いたけど難しいみたい」と返答をいただいた。

その瞬間に、もう本当にすごく申し訳なくなった。彼女にはわたしなりにすごく真摯に丁重に謝罪した。やっぱり連絡しなければよかったとめちゃくちゃ思った。
恐らく「事務所」というのは綺麗な断り文句で、彼女からしたらいい気持ちはしなかっただろうな。都合のいい時に利用しやがって、とか思ったかもしれない。


有名税」という言葉がある。有名になるのと引き換えに失うもの、発生するデメリットなどを指す時に使われる言葉だが、有名税はあまりにも大きすぎると常々思っていた。
そもそも有名になるのってそんなにメリットあるだろうか。たまたま就いた職業が人前に出るものだっただけで、金銭的には豊かになるかもしれないけれど、そのせいで興味本位にプライベートを覗かれ切り売りされるストレスはわたしには想像できない。
そのうえで、影響力があるからと広告塔の役割を負わされるのは、一体どんな気持ちなんだろう。そりゃ広告案件の撮影だと機嫌悪い人もいるよな、彼らにとっては広告案件はお金稼ぐために無理やりやってる副業みたいなものなんだから。


もちろん、影響力があるからこそ知って欲しいこともたくさんあって、例えば「きのうなに食べた?」に出演した内野聖陽の言動が問題になっていたれど、出演する作品で取り扱っているテーマに関してはきちんと理解してほしい。風磨くんが全裸ドッキリにかかっているのも、男性の裸を軽視する風潮について思いを馳せてほしいなと思う(風磨くんはドッキリにかかっている側なのでこれはスタッフに対してだけど)。

わたしは常日頃からももクロにもセクゾにもフェミニズムを知って欲しいと思っていて、それも彼女ら彼らの活動の延長にあることだからなんだけど、なんでもかんでも「影響力のある人には知って欲しい」って思い過ぎてたなっていう反省がめちゃくちゃ出てきた。ひとりの人間にできることは限られているんだから、こちらの期待を勝手に押し付けてはいけないと当たり前のことを今更ながらに再認識する。

当たり前のことを今更ながら認識した人の文章で恥ずかしいけれど、自分の思考の備忘録として記しておく。