社会的なパグ

フェミニストなのに広告会社にいる。迷いながら生きています。

12/13 清竜人25@サンリオピューロランド

清竜人25はフェスで観る程度でワンマンに行ったことは無かったのですが。
ピューロランドでやるというニュースを聞き、メルヘンなものを見たいという好奇心と、幼児も多いサンリオでPG指定にならないかという怖いもの見たさが混ざった気持ちで初めてワンマン?へ。
結果、またとない貴重なライブでした…!

1曲目、興奮しておぼえてないのですが「Call♡Me♡Baby」だそうです(音楽ナタリーを読んだ)。いきなり夫人たちとキティちゃんとマイメロディが登場して会場歓喜!からのライブスタート!
竜人くんがいない…と思ったらステージ下手の花の中から登場しました…笑

f:id:isunoue:20151215215756p:plain

つぼみの中から竜人が生まれる

なぜ1曲目の記憶が朧気かというとキティちゃんとマイメロのダンスがキレッキレすぎて度肝を抜かれたからなのですが、竜人くんが他の夫人たちと同じようにちょっかいを出してて、二人も軽く恥じらう、というやり取りが非常にかわいかったです。
そして興奮冷めやらぬまま2曲目「Mr. PLAYBOY…♡」に突入!!!
ライブのキラーチューンだからどこかでやるとは思ったけど、キャラクターと一緒にやるとは思っていなかった!「GO!GO!スケベ!スケベ!」コールにキティちゃんとマイメロが手拍子をするという非常にシュールな空間…というか、二人とも意外とイケる口なんだね!?という驚き。曲中では竜人くんが二人にキスしたりスカートをめくったりとやりたい放題!なのに何をされても「やだ~竜人くんたら♡」と言うように肩をぽんぽんと叩くだけで許してしまう二人。サンリオキャラクターの懐の広さを感じました。
曲順を忘れてしまったので滅茶苦茶なのですが、そこから「やっぱりWifeがNo.1♪」「逢いたいYO~♪」「プリ~ズ…マイ…ダ~リン♡」などを披露。会場をの要素を広く使った演出が非常にメルヘンチックでした。

竜人くんがきのこにもたれかかりながら歌ったり…

f:id:isunoue:20151215220639p:plain

 

かと思うときのこの階段を上って竜人VS夫人たちの構図で歌ったり…

f:id:isunoue:20151215221708p:plain

 

新曲の「Christmas♡Symphony」のお披露目になると会場の照明が星空のようにきらきらと輝きました。夫人たちは制服風のグリーンのチェック衣装で登場だったのですが、この曲に併せて作られたようです。

清竜人25というグループが異世界感満載のコンセプトの上、竜人くんの存在そのものがファンシーなので、フェアリーランドシアターの世界観にぴったりすぎてなんだか夢の中にいるよう。
竜人くんてMCで喋らないんですよね。岡村靖幸さんもそうですけど、歌いながらとか、歌に交えて話すことはあっても、アーティストから観客に「話しかける」ということが無い。ライブを観ていても「竜人くん楽しそうだな」とこちらが想像できても、本人からの言葉は無いので正解はわからない。想像を膨らませる余地をふんだんに残しているところがわたし達に現実離れした印象を与えているのかなと感じます。

さて、この日は第二夫人の清桃花ちゃんのお誕生日!
開演前には有志の方から、桃花ちゃんのイメージカラーである白いサイリウムの配布がありました。
ライブも後半に差しかかり、今日はやらないのかな…とやきもきしていたところ、ついに「The♡Birthday♡Surprise」のイントロが流れ、会場内全体が少しそわそわした空気に。そわそわしているけど、桃花ちゃんに悟られてはいけない、という感じ。そして竜人くんパートで一斉にサイリウムを折る!腕を上げる!白い光で埋め尽くされる会場!
キャパ300くらいの小さい会場で、どこからでもメンバーの表情がよく見えるんです。なので、桃花ちゃんが泣きそうになった瞬間もくっきりと見えた。わたしまでぐっときました…

曲が終わってハッピーバースデーを歌って、竜人くんからポムポムプリンの巨大なぬいぐるみのプレゼント。相変わらず竜人くんは喋りませんが、キティちゃんたちがいたときのニヤニヤ笑いとは違って、一年間苦楽を共にしてきた仲間に対する温かい笑顔のような気がしました。

ひとしきりお誕生日のセレモニーも終わり、最後の曲は「Will♡You♡Marry♡Me?」
一度ステージ袖に引っ込んだ竜人くんが出てこない…と思ったらポムポムプリンが登場!キティちゃんたちより短い手足で懸命に、しかし見事に竜人くんのパートを踊りこなしていました(歌は竜人くんが袖で担当)。
夫人たちからの「桃花、おめでとう!」そして竜人くんからの「桃花愛してるぜ!」というアドリブも炸裂し、大団円の中ライブは終了。
40分という短いステージでしたが、ものすごく密度の濃い、充実したライブでした。

アイドルという存在を「日常を忘れて夢を見せてくれるもの」と定義するのであれば、清竜人25に勝るグループはいるのでしょうか。コンセプトも竜人くんの存在もおとぎ話のようで、でもアイドルとファンという関係でわたし達は確かにコミュニケーションを取っている。日常の中の非日常。手を伸ばせば届く夢の世界。そのバランスが絶妙で、唯一無二の存在感を出しています。

清竜人25って夫人たちのMCもぐだぐだだったり、振りも間違えちゃったり、未熟という言葉がぴったりでこれからの期待値を込めて応援しているファンの方も多いと思います。
これから清竜人25が大きくなっていった時に、桃花ちゃんにとって、今回のお誕生日がいつまでもいい思い出として残ってくれたらいいな、と思いました。辛くなった時も、誕生日で見たサイリウムを思い出して頑張れるような、そんな光のひとつでいられたら、それはとても幸せなことです。
企画してくださったポムポムプリンのコスプレをしたお兄さんはじめ有志の方、幸せな空間をありがとうございました!(この声が届きますように…!)
他の夫人のみんなともこんな思い出を作って行けるように、これからも応援していきたいなと改めて感じたライブでした。


※音楽ナタリー読んだら1曲目は「どうしようもないよ…」ではなく「Call♡Me♡Baby」とのことだったので修正しました。大変失礼いたしました。

おうちを買うまで② 中古マンションを買った女の動機

家を買った理由としては、家賃がもったいない。これに尽きます。
 

|鰻の寝床に住むのは2年が限界

わたしが初めての城として選んだひとり暮らしのお部屋は典型的な鰻の寝床でした。

f:id:isunoue:20151211182656p:plain

こういうの
約7畳の1K、廊下にキッチンがついていて、コンロは一口。
バストイレは分かれていて、お風呂と洗面台は一緒でした。
 
その時の条件としては ①バストイレは絶対別 ②駅徒歩10分以内 という二大巨頭があり、それから女の子のひとり暮らしなのでオートロックも必須。他は汚くなければ必要最低限の設備でいいや、という感じでした。今思うと、初めてのひとり暮らしだったので何が必要で何が不要かがわかっていなかった。「ロフト付」という無駄にお洒落な響きに誘われて、危うくプロパンガスのおうちを選びそうになったこともありました。ロフトもプロパンガスもいらねえよ!マジで!
小娘だと思ってなめやがって…といま思い出すと腹立たしいですが当時のわたしは本当になめられても仕方がない小娘でした。
 
そんな紆余曲折がありながら選んだおうちは新宿区、駅から徒歩6分。管理費込みで家賃は79,000円。
エリアと駅からの距離を考えれば妥当、むしろ安いくらいの金額だったので、家賃に対して割に合わないなぁ、といった不満を感じたことはありませんでした。
(ただ、この管理会社がものすごくヤ○ザな会社でした…!退去のときにどんだけぼられたか…また賃貸に戻ることがあったとしてもこの会社のマンションはもう借りません。やはりわたしは小娘でした)
 
とりあえず住んでいる時には不満は無かったのですが、もうすぐ更新、という時期が迫ってきた時に、家賃に年間100万円弱使っていることを認識してぎょっとしました。100万あったらもっといいことに使えるんじゃないかと思ったんです。
そうすると現金なもので、急に住んでいるマンションが色褪せて見える…笑 狭いし、コンロ一口しかないし、洗面台は独立してないし…と、今まで「そこは拘ってないから妥協してOK」と処理していた事柄に対して妥協できなくなってきました。なんで100万払って妥協してんだわたしは!と。とりあえず更新という選択肢は無くなり、広いところに引っ越そうと思いました。
 

|頼りになるのは自分!そして家族!

ひとり暮らしを始めて10か月くらい経ったところで、生まれて初めて彼氏ができました。
向こうは実家住まいなので、まあ、わたしの家に来る。付き合いたてで浮かれていた時は週の半分以上はわたしの家に来ていたのではないだろうか。落ち着いても週に1~2回はうちに泊まってたんです。
 
なので引っ越すにあたりまずわたしが考えたのは、「彼に2万もらって、家賃10万の広い家に住もう」でした。
週に1~2回来ていたら月の1/4はうちに来ているわけで、そうしたら家賃約8万のうち、2万円分くらい泊まっている計算になります。だから別にこれは妥当な交渉だろうと思いました。今も思っています。
しかしこの交渉は断られました。払うとわたしの存在が重くなったり、なにかがリアルになったり、まあ、いろいろあるのでしょう。それはなんとなく察します。こちらも「うちに来させてやってるんだから金払えよ」というスタンスでもないので、そこまで強要もしませんでした。正直ケチだとは思いましたが。
 
とにかく資金援助に挫折したわたしは、ならば同じお金で広い家に住むしかない。
そうすると選択肢は もうすこし都心から離れたエリアに住む または 駅から遠くて家賃が安いところを探す または 買う の3択になるわけです。
でも、エリアも気に入っていたので同じあたりで探したいし、仕事で疲れた帰り道に駅から家までが遠いのはキツい。
このあたりから、「マジで買うのもありかも」という考えが頭をもたげ始めます。
 
さて、ここで懺悔すると、偉そうに散々「マンションを購入した」と書いていますが、彼からの援助に失敗したわたしは親に少し援助してもらいました。
 
もともとひとり暮らしを始めるときも「買っちゃえばいいじゃん」と言うくらい、両親ともに購入にマイナスイメージはありませんでした。
その時は、買うなんて途方もない、と思っていましたし、結果論としてまずは賃貸という選択肢は間違っていなかったと思います。
実際に一人暮らしをしてみないと自分が家になにを求めているのかはわかりませんし、それがわからないまま想像で大きな買い物をするのは危険だからです。
それも踏まえて、改めてわたしが「引っ越しを機に買うことも検討しようと思う」と相談すると、少しだったら頭金を援助してあげるよ、と有り難い言葉をいただきました。
 
基本的には自分のお金で頑張るつもりでしたが、大きなお金が動くし、せっかくチャレンジするなら親が元気なうちにやってみよう、と踏ん切りがつきました。
 
こうしておうち探しが始まります。

おうちを買うまで① 中古マンションを買った女のプロフィール

2015年の4月に都内の中古マンションを購入しました。女性の一人暮らし。独身です。
こう書くとデリカシーのない失礼な人から「腹をくくったの?w」と聞かれるのですが、そんなことは全くなくて、ただ住みよい家を求めて悩んだ結果、買うのが一番いいという結論に至っただけです。
せっかく買ったのでさすがにもう少しだけ住みたいな、とは思っていますが、いつでも結婚する準備はできているし、そうしたらこのおうちは貸すなり売るなりすればいいかな、という気持ちです。
まあ、どうにかなるだろうなと。
 
最近では独身女性むけの分譲マンション、という謳い文句もよく見かけますが、それでもやっぱり、この年で独身女がおうちを買うのはまだまだ珍しいことです。
わたしのすきなジェーン・スー氏と雨宮まみさんがトークショーをした時に「不動産という教科を学校で教えるべき」と言っていて、激しく同意したのですが、それにはまだまだ時間がかかるだろうということで。
せっかくなので、わたしの思い出を書いて行こうと思います。
 

中古マンションを買った女のプロフィール

購入までの流れを書いていくに当たり、まずわたしのプロフィールを少しお話しします。
1988年、最後の昭和生まれの26歳。女。社会人4年目の会社員です。
会社は普通の都内の会社で、良くも悪くもなく、というところ。
会社は冴えない割に大きいグループ会社に属しているので、ネームバリューはもしかしたらちょっとだけいいかもしれません。
 
出身は一応東京都ですがほぼ千葉県で育ちました。
(千葉県と言っても、氣志團翔やんがテレビでわたしの地元を「あれはもはや東京だから」と言っているのを見て、同じ千葉県民なのに壁を感じた、そんな位置関係です。実際わたしも君津の教習所で合宿で免許を取ったらあまりに田舎で「これが本当の千葉か…!」と思ったのを覚えています)(もはや千葉都民を自称しています)
 
当たり前ですが小中高は実家から通学、
大学も通える距離だったので実家から通学、
会社に入ってからもそこまで遠くはなかったので、入社1年目まではずっと実家から通っていました。
ただ、仕事が深夜になったり、遊びたかったり、ひとり暮らしの憧れやら何やらが重なり、2年目の6月に都内でひとり暮らしを始めました。
 
約1年半ほど住んで、そろそろ更新が見えてきたな…という頃。
更新するか、新しい賃貸を探すか、悩んでいた時に、急に「いっそ買ってしまうか?」という選択肢が浮かんできました。
悩みに悩んで、それでもものすごく勢いも手伝って、都内の中古マンションを購入しました。
入社3年目の終わり頃、2015年の3月のことです。

生きる上で必要もないのになぜ僕らは楽しそうに踊るのか

WaT事変から数日、今でも心のどこかに穴が開いたような寂しさを抱えながら毎日を過ごしています。まだ余韻を引きずって、家でひたすらWaTの曲を聴いてセンチメンタルになったりして。まさかこんなにダメージを受けるとは。失ってから気づくとはよく言ったものです。

いつまでテレビやラジオやバンドやアイドルを追いかけていくんだろう。
最近よくそんなことを考えます。

当方、最後の昭和世代で今年で27歳になります。
周りでは結婚ラッシュが始まり、あまつさえ親になる人が出てくる。
かたやわたしは、ももクロに会いに静岡へ大阪へ、氣志團に会いに木更津へ、週末はライブやフェスに繰り出し、平日はフットワーク軽くラジオの出待ちに向かう。
気がつけば、わたしが今でも夢中なあの人は、友人にとって「昔すきだった、懐かしい!」というノスタルジーの対象になっている。
わたしだけが一人享楽的に時を持て甘し、時間の経過に気づかないふりをして歪な大人になってしまいました。
ライブ会場とは同じ志を持った者共が集いし場所ですから、別にわたし普通じゃん、みんなと一緒じゃん、という感覚に陥る。しかしふと視線を外にやれば、追っかけ活動を微塵もやらない人がいて、それは自分が思っているより多数だと気づく。

なにかにものすごく熱をあげながらも、いつかこの恋心も若気の至りになるのかな、などと楽観視していた学生時代の予想に反して、自分で遣えるお金が増えれば増えるほど活動範囲は広がっていきました。まさかわたしは、WaT解散であんなにぼろぼろ泣く大人になるなんて思っていなかった(むしろWaT解散なんて思っていなかったけど!)。
今だって、あと数年経てば落ち着いて、年甲斐もないと悩んでいたことも想い出になってしまうのだろう、と思うときもあります。ただ一方で、三つ子の魂百までという言葉があることも認識しています。

そもそも、テレビやラジオやアーティストに夢中になるってなんなんでしょう。

わたしがすきなものはざっくり括ってしまえば「エンタメ」と呼ばれるジャンルのもの。もちろん時事ネタを織り交ぜた社会派の漫才師や世界平和を呼びかけるアイドルもいますが、ざっくり言ってしまえば娯楽の世界です。
(もちろん、そのコンセプトや思想にどこかで共鳴してわたしたちは応援するわけですが、今回は「いい年して娯楽に精を出しすぎること」について考えてみます)

キュウソネコカミの「MEGA SHAKE IT !」という歌の中にこんな歌詞があります。

人は踊る 時を超えて 音に合わせ 身体揺らす
生きる上で必要もないのに 僕ら楽しそうに踊る

確かに…! 端的に言い表しすぎてぐうの音も出ません。
(音楽で飯を食ってる人が生きる上で必要ないと言っちゃうのは皮肉ですが、それがキュウソの面白いところです)

話は逸れますが、そんな生きる上で必要がない音楽が、小学生の時から学校の授業に入っていることもちょっと面白い。
極端な話ですが、音楽の先生が「音楽を勉強しておけば無人島に行っても困らない(歌って時間を潰せるから)」と言っていて、なるほど!と思ったことを覚えています。

そしてわたしにとっては音楽をはじめとする娯楽は「生きる糧」であり、そこでもらったものをエネルギーに変えて今日までを歩いて来ました。
学生時代は学生なりの、いまは社会人なりの悩みや憂鬱な現実があります。お笑いを見たりライブに行くと、その時間は悩みなんて頭からすっこ抜けていて、日常に戻ると「同じ人間があんなに輝いているのだから、わたしも頑張ろう」と気持ちをリセットして日々に向き合うことができます。「毎日がどうしようもなく退屈でも、その延長にこんなに楽しい一瞬があるなら日々を真剣に過ごそう」というモチベーションになります。
言わば薬物を投与しながら生きている状態で、一度はまったらなかなかやめられない辺りは麻薬と同じかもしれません。

麻薬ではないので非情に健全ですし、それで生活サイクルが成り立っているのだからいいじゃん、という話なのですが(金銭的には若干破産気味ですが…)先述の「いい年して」という後ろめたさが日に日に強まっていく。
「生きる上で必要もないもの」を「生きる糧」にしてしまっていいのだろうか。それは確かにロマンチックなことではあるけれども、そんなロマンを味わう年齢はとうに過ぎたのではないかと。

もしかしたら、結婚とか子供とか、新しい「生きる糧」を見つけたら変わるのかもしれませんし、結婚にも子育てにもストレスはつきものでしょうから、そのモチベーション作りのために、やはりわたしは追っかけの業を一生背負って生きていくのかもしれません。
ただここまで応援してきた過去は消えないし、すきすぎる余りに広告会社という微妙に掠ったような業界に就職してしまった自分がいたりもします。

結論としては出ないんです。すきなものをそう簡単にはやめられません。
生きる上で必要がなくても、踊りたい限りは楽しそうに踊るしかないという諦めの気持ちではあるのですが、いつかこれが若気の至りと呼ぶ日が来たとしても、その道の末に今の自分がいるという事実を抱きしめて、そこから得たエネルギーで自分が生きてきたということに感謝して、今を享受するのみです。

いつか夢に手が届く頃、闇を抜けて君に幸あれ

昨日はWaTの久しぶりのワンマンライブ、そして解散発表がありました。

WaT オフィシャルファンクラブ


もう、あまりに突然で。
今年は復活イヤーだったから、無くなることなんて考えてなかったんです。

WaTはわたしの青春でした。曲を聴いていたら夢中で追いかけていたあの頃の色んな思い出が甦ってきます。
友だちと映画ゲゲゲの鬼太郎を観に行ったこと。誕生日プレゼントにWaTのカレンダーと5センチ。のレコードサイズのCDをもらったこと。夏休み最終日にブレイブストーリーラブ☆コンの映画を観に行って、そしたらラブ☆コンのチケットが売り切れていて観られなくて、結局DVDを買ったこと。雑誌の懸賞で二人からの年賀状が当たったこと。

オリコンスタイルとかJUNONとかMyojoとかもいっぱい読んだなぁ。二人が出てるドラマは必ずチェックした。わたしのPCには溢れ出る衝動のままに収集したWaTの画像フォルダがありPCの結構な容量を占めています。
大学生になり社会人になり、あの頃のようになんでもかんでもは追えなくなってしまったけれど、テレビはできるだけチェックして「ウエンツ元気だな」「徹平相変わらずかわいいな」とほっこりする、特別な存在だったんです。

そういえば、初めてラジオを聴いたのもWaTがきっかけでした。二人が本谷有希子のANNにゲストで出た回を聴いて、そこからラジオ面白いなーと思って聴き始めて。
そこから広告やメディアの業界を志望するようになって、わたしは社会人になりました。二人に出会わなかったら今のわたしはいません。

わたしは夜からの参戦だったのですが、直前に解散を知って、周りにはぼろぼろ泣いているお客さんがいるのに、どこか実感できないまま。でも頭では「これが最後のライブだ」とわかっているから、とにかく全力で応援してライブを楽しもうと、そればかり考えていました。

結果、ほんとうにあったかいライブだった。
改めて実感したのは、ほんとうにバランスのとれた二人組だなと。
徹平ののびやかな歌声とウエンツの繊細な歌声。もしかしたら世間的なイメージとは逆かもしれません。チームとしてはウエンツが引っ張りつつ、音楽面では徹平が舵を切って、お互いに尊重しあい、補い合いながら成長してきたコンビだと思います。休止期間を経てもなんの違和感もなく、WaTは絶妙なバランスでステージに立っていました。ふたりが変わらない空気感でいてくれたから、わたしたちも「おかえり!」と素直に言うことができた。

でもそれでいて、表現力はずば抜けて上がっていました。特に徹平はドラマや舞台出演を重ねて、なんだろう、圧倒的なオーラを感じました。昔は(もちろんプロとして提供すべきクオリティを保ちつつ)未熟で、でもとにかくがむしゃらで一生懸命で、それがどこかノスタルジックなWaTのメロディに合っていてすごく胸を打った。そこから色々な仕事も経験して、きっと恋もしたことでしょう。あれが少年から青年になるまでの輝きなら、今はもうひとつ大人のステージに上がって、人生を重ねたことによる深みを感じました(なんか偉そうな言い方になってしまいましたが…)。

WaTの歌の良さって二人の等身大な気持ちが素直に伝わるところだと思うんです。
需要に応える、という感じで恋愛要素を含めた曲が多かったですが、基本的には自分たちの生き方とか、二人の関係性とかを歌っていて。いま聴いても全然色褪せないどころか、こっちも歳を取ってる分余計にぐっときてしまいました。
昔なにかのインタビューでウエンツが「友達は大学に進学したりしたけれど、僕らは彼らより少し早めに社会に出た。いつか友達が社会に出た時に聴いてもらえれば」というようなことを言っていて、いまのわたしがちょうどその段階なのかもしれません。

だからこそ、大人になったWaTがどんな景色を見ているのか、その歌を聴きたかったなぁ。この5年で彼らが何を観たか、その景色を歌にして欲しかった。
それを聴いてずっとずっと、応援していたかった。

5年ぶり再始動のWaT、活動休止中の不仲説に言及「ずっと仲良い」 | ORICON STYLE


今年の頭に再始動した時のインタビューを読み返していて、そうすると徹平が「正直、あのころのWaTを表現したいと思っても、良くも悪くも年を重ねてしまった今の自分たちには無理なんですよね。」と話していて、やっぱり解散はどこか必然だったんだなって、今になってすとんと胸に落ちてきます。
もし二人が個々の活動と並行してずっとWaTを続けてきて、変化をグラデーションで感じていたら、もしかしたら変化を楽しみながらこれからもWaTを続けて行くという選択肢もあったかもしれませんが、こればっかりはどうしようもない。この5年間の個々の活動は輝いていて、だからどっちが良かったということではなくて、結果論でしかないんです。

だって二人は本当に大きくなっちゃったんです。
夜のライブ、最後の最後まで二人は泣きませんでした。
始めてMステに出た時に、泣いて歌えなくなってしまっていた、そんな彼らが、「泣くと歌えなくなっちゃうから我慢してた」って言って、最後に洟をすすっていました。
一回りも二回りも、それよりもっと大きくなってしまって、急にWaTに戻るのは難しかったのかもしれません。

寂しいし涙が止まらなかったけど、どこかでは納得している自分もいて、もうありがとうしか出てこなくて、あの空間でお互いがお互いを想っているのがじゅうぶん伝わってきて、あの場にいられたことがすごく幸せでした。

いつか夢に手が届く頃、闇を抜けて君に幸あれ

二人の行く末が輝かしいものであるように願ってやみません。


もともと握手会には行っていない内向的なファンだったので、最後に行くかはわかりません。昨日のライブだけで、もうじゅうぶん過ぎるくらいな気もしています。

むしろ2月までにオールナイトニッポンをやって欲しいです。CDのおまけトークがだいすきだったので、最後にたくさん二人の仲のいいトークを聴きたい、そして出待ちしたい、という妄想です…笑