社会的なパグ

フェミニストなのに広告会社にいる。迷いながら生きています。

双方の親に事実婚の説明会をするはずだったんだけど

去年の4月に引っ越して夫と暮らし始めました。
そして、我々は事実婚を選択したこともあり、双方の親(というかほぼわたしの親。特に母)から「家に招待して事実婚の説明会をせよ」との要望が上がっていました。

事実婚を決めた時、わたしはわたしの両親に、夫は夫の母上に、それぞれ話を入れたのですが、わたしの両親はなんとなく容認派、夫の母上は断固反対派という結果に。。
そこで、我々は一堂に会しての説明会開催を一旦見送りました。
わたしの両親には再度ご飯会を開いて思いの丈を話しつつ、夫の母上に対しては、いま話しても感情的になって聞いてもらえないだろうから、時間をかけて、まずは「ほぼ結婚しているのと同じ状態である」現状をわかってもらう。
それぞれに合わせた対応をするというのが我々の判断でした。

なのですが、うちの両親からは「一堂に会した説明会はまだか」と延々連絡が来る…
わたしが個別の対応をしたい旨を説明しても「こういうのはみんなが揃った場でやらないとだめだよ」の一点張り。
正直、一堂に会することの必要性がわたしにはわからない。
みんな揃ったってまとまらないんだから、個別でじっくり話したほうがよっぽど効率的だし、お互いに丁寧に話ができる、と思っている。

「なるべくわかってもらえるように説明を尽くす」ことはしているつもりです。
それで、両親が「文章としては理解できる」というところまではできていると思う。
ただ、そこで両親が「納得する」か「日本語として言っていることは理解はできるけど、納得はしない」かは、両親次第なので、わたしにはどうすることもできない。

わたしたちが目指すゴールとしては、「理解して、納得の有無はともかく、『そういうものか』と思ってもらう」こと。もっと平たく言うと「放っておいてもらう」ことです。
一方で、わたしの両親のゴールが「お互いが納得できる着地点を探すこと」だから、どうにも会話が噛み合わない。

梨木香歩さんの、多分「春になったら苺を摘みに」というエッセイだったと思うのですが、その中に「理解はできないけど、受け容れる」という言葉があります。
ここでいう「理解」は、このブログで言うところの「納得」だと思うんだけど、人はどうしてもわかり合えない点があって、それでも、「わかり合えない」ということも含めて一緒に生きていくことができる、ということをわたしはこの本で学びました。そして、定期的にその言葉を反芻してきました。

家族だからわかり合えるはず、家族だからこそわかり合いたい、という考えは、わたしにとって時に苦痛です。
「わかり合う」ということが「理解し合う」ことなら、できるし、すべきだと思う。
でも、もうお互いがひとりひとりの考えを持っている人間である時点で、「納得し合う」ことはある程度のところまでしかできないと、わたしは思います。


…でもあんまり両親がしつこく言うもんだから、わたしも逆上して「そんなに言うんならやってやんよ」となって、開催することになったんです。笑
「雰囲気がまじ悪くなっても知らんぞ」「関係性が超ギスギスになっても知らんぞ」という気持ちで、前日には夫婦別姓に関するあらゆるブログ記事を集めて、家制度の説明をするために調べなおして、こういう質問が来たらこう返す!と脳内シミュレーションを重ねて、言ってしまえば戦闘態勢でした。

ご招待客はわたしの両親と彼の母上。の予定だったのですが、当日朝に急遽彼の姉上と愛犬の参戦が決定。
そして結論から言うと事実婚の話全くしませんでした!笑

お姉さんが非常にコミュ力の高い方なのと、犬が可愛かったので、そんな話を中心にご飯を食べて終了。逆ギレしていたとはいえ、もともとはわたしも事実婚の話はしたくなかったので、結果としては良かったしお姉さんと犬には感謝しきりです。


終わってから気づいたのが、実はうちの両親もそんなに説明会を求めてなかったのかも…ということ。
お姉さんの参戦により当初の目的であった事実婚の話はうやむやのうちに無くなったのですが、両親ともホームパーティーに非常に満足していました。

わたしの性格が良くないのですが、あまり実家に帰らないし、夫と同伴で帰ることも少ないので、心配性な両親(というか母)は「ちゃんとやってるのだろうか?」と不安だったんだと思います。
「帰ってきなさい」と普通に言っても帰らないし、「説明会を…」などと難癖をつけてでも我々の運用状況を確認したかったのかもしれないな、と遅まきながら気づきました。


やっぱりわたしは、わかり合えないこともあると思っているので、「よくわからんが、まあうまくやってるようだししょうがないな」と諦めてもらうことしかできないと思っています。
そこの考えは変わらないんだけど、そのためには、我々が夫婦としてきちんと運用できていることを、我々が考えている以上に積極的に見せていく必要があったんだな、というのが今回の発見でした。(回数が少ないと、うまく運用できてないから、会わないんだ…と思われる。めんどくさいけど)

わかってもらう努力はもちろん大切だしやっているんだけど、そしてお互いに一定の距離を持って、時には「放っておく」ことも大事なんだけど、一方で様子を見せておくことの大事さを改めて実感…
第一歩として、今回のご招待を喧嘩の会にすることなく、我々の運用実績を見せる会として成立させることができてよかったなーと思います。

でも親に言いだされないうちにまたやんなきゃなー