社会的なパグ

フェミニストなのに広告会社にいる。迷いながら生きています。

愛という名の支配

田嶋陽子さんの「愛という名の支配」を読んでいる途中なのだけど、「恋愛にはこれまでの自分の生い立ちが反映されており、これまでの人生で何に影響を受けてきたかを分析できる」という趣旨のことが書いてあったので、自分に当てはめて考えてみることにした。

と言いつつ、わたしは夫としか付き合ったことが無い…
たぶん、わたしは恋愛に向いてない側の人間なんだろう。これまでの人生をすべてひっくり返しても、幼稚園と小学校で好きな子がいたのと、あとは大学生の時にサークルの先輩に憧れていたくらい。中高は女子校だったこともあって専ら二次元の男子にときめいていた。
いや、女子校だったのは言い訳でしかない。なぜなら同級生たちは予備校などで他校の男子と出会って付き合ったりしていたのだから、完全に個人の資質の問題…w
脳内で恋愛を繰り広げるのは人並みに楽しいけれど、なにせコミュ力が無いので、恋をしたい気持ちより生身の人間とやりとりするのが嫌、という気持ちが上回ってしまったのでしょう。

そんなわけで、付き合った人だとサンプル数がなさすぎるので、大学の先輩の事を思い出してみる。

わたしが好きになったのは、サークルの学年代表の先輩。
恐らくサークル活動にそんなに興味はなかったものの、しっかりしていて、社交的で、そこそこお酒も飲めたがために代表に「なってしまった」という感じの人で、そのため責任感が先走り過ぎて本人は全然楽しそうではなかった。
わたしはそんな姿を見て「なんか大変そうだな」と思い、なぜか、「わたしが支えてあげたい」と思うようになった。所謂「内助の功」の役割を担いたい、という気持ちだった。

わたしはもともと人前に出るのが得意ではないので、高校時代も副部長とか副委員長とか、二番手の役職に就いていた。「長」をやってみたいと思うのだけど、直前に怯んでサブのポジションに落ち着いてしまう。(ちなみに恵まれたことに誰かに阻害されたことは一度もなくて、自分に自信がなくてこうなっている)
なので先輩が「長」を全うしている姿は格好良く見えたし、自分にはできない分、力になりたいという気持ちだった。

こうしてシンプルに思い出すと自分の自信の無さを再認識するのだけど、さらに深く思い出してみると、その当時のジェンダー観も影響してくる。

わたしが入ったサークルはそれはそれは典型的なジェンダー観念を押し付けてくるサークルで、一年女子はちやほやされ、二年以降になると一部のお姫様的な女子を除いて汚れ役のポジションになった。一年男子は先輩からの無茶振りに必死で応え、二・三年の男子は奔放にヤンチャに過ごした。そして四年男子の地位が一番高くサークルを仕切っていた。代表は必ず男子が就任し、女子は補佐的な役職に就いていた。ちなみにそのサークルでは上の役職に就くにはお酒に強いのが絶対条件で、下戸のわたしにはその資格は全くなかった。

女子校から共学へと環境が変わり、大学一年のわたしは「なるほど共学とはこういうものなのか」とそれを受け容れた。
前述の通り、リーダーよりもサブリーダーに向いている自覚はあったので、補佐的な役割に自分の居場所を作ることで環境に適応しようとした。真面目なわたしはサークルにせっせと出席しては役職をこなしていた。

今思うとそこに歪があって、「女だから補佐をする」のと「自分の性質としてサポートが向いているから補佐をする」のは違うのに、その区別がついていなかった。というか、女性はサブの役職にしか就いていないのに「女だから補佐に回されている」ことに気付かなかった。当たり前のようにスルーしてしまっていた。

先輩を好きになったのもそうで、自分でも気付かないうちに、「女性だから」という役割を自分自身に押し付けていた。「男として、代表を一生懸命全うする」先輩を好きになって、彼女になることでそれをサポートしたい。それが自分の女性としての役割だと考えたのだ。
結局先輩には振られたんですけど、付き合ってたらどうなってたのかな…

先輩が辛そうだったのは「男だからという理由でやりたくもない代表をやっているから」で、先輩も立派な犠牲者である。他の男子も、男というだけで「奔放であれ」と型にはめられるのは辛い人もいただろうな。

一方で、同期の男子から「お前は男を立てるということをしない」と真顔で説教されたこともあり、ヤバイ人間がいっぱいいることも目の当たりにした。彼は確か結婚して女の子を授かっていたはずだけど、自分の娘にもそんな教育を施しているのかと思うとぞっとする。

大学三年の終わりくらいからなんだか疲れてしまって、サークルにはあまり顔を出さなくなった。その時は自覚はなかったけれど、卒業して社会人になってからも違和感は蓄積していって、それが凝り固まったジェンダー意識によるものだと言語化し説明できるまでに10年かかってしまった。
女子校という温室から卒業して、大学であそこまで強烈に現実をぶっかけられなければ、もしかしたら徐々に適応して今に至っていたかもしれないので、日本の現実を勉強するとてもいい機会だったとも言える。