社会的なパグ

フェミニストなのに広告会社にいる。迷いながら生きています。

「美術館女子」に思ったこと③

先日SNS(というかtwitter)で批判を浴びるだけ浴びてひっそりサイトを閉鎖してしまった「美術館女子」企画に関して、なにがどうしてあの企画に行きついてしまったのか?をいくつか想像したところで…
いろいろやりようはあっただろうなと思いつつ、美術館”女子”というネーミングが良くなかったんだろうな、と改めて思います。

もう散々言われていますが「●●女子」という言葉には、「女であるにも関わらず、男の分野である●●で活動する人」という意味合いが多分に含まれていると思います。
「思います」と書いたのは、相手に果たしてどこまでその自覚があるかがわからないなと思ったからなのですが…

例えば、競馬好きな女性を「UMAJO」と呼んで、競馬人口を増やそうというプロモーション施策があります。わたしはもともと競馬がすきなので、たまに競馬場やWINSに行きますが、意外と女性や家族連れもいるものの、圧倒的に多いのは男性です。
そのような状況で、顧客層の拡大を目指すべく女性をターゲットに据えた施策を行おうというのは、個人的には理解できます(理解できるのと良施策かはまた別の話として)。

一方で、「歴女」と言う言葉があります。これは「歴史というおじさん領域の趣味を持つ女子」を意味していると思われます。ここで「UMAJO」と違うのは、競馬と違い、歴史好きは男女関係なく存在する、という点です。「歴女」とは言うのに「歴男」とは言わない、というところに「女は歴史に興味はない、女には歴史は理解できない」という無意識が隠れているように思うんです。

今回の「美術館女子」も後者に該当するかと考えます。美術館に行くお客さんはもともと男女ともにいるし、なんなら女性の方が多いのではと思うのですが、そのような状況にも関わらず「美術館女子」と命名したところに、「美術は男のもの」という無意識が入っているように感じます。


難しいなと思うのは、こう書いていても「●●女子」を命名する人が「そんなつもりではない」といくらでも弁明できるところです。結構なフェミニストである夫とと話していても、「そのような意識があったことを必ずしも証明できないのでは」と言われました。
夫は眼鏡をかけている「眼鏡男子」ですが、それはあくまでも「眼鏡をかけている男子」のことであり、それ以上でもそれ以下でも無い。ただ自分の特徴を表現しているだけなので、「眼鏡男子」と呼ばれても別にイラっとしない、とのこと。
「美術館女子」も「美術館に来ている女」を指しているだけでイライラしていない人も中にはいるのでは…というのが彼の見解で、裁判で不当な判決が出た時のようなモヤモヤを感じたのですが、内容は理解できます。

この話をしたときに、「美術館女子」という言葉を聞いて「また女をバカにする単語ができた…」と思ったわたしと、「(わたしの気持ちは理解しつつ)これだけではただの表現とも言える」という見解も示した夫の差は、認めたくないけれどやはり「どちらの姓で育ってきたか」の差なのかな、と感じました。


わたしたちは未だに「女性としての役割」を押し付けられます。
そして、その中には「女は男より無知な方が可愛い」というものがあります。
わたしは大学の同級生から「お前はもっと男を立てることを学んだ方がいい」と言われ衝撃を受けたことがありますが、ちょっと知識がない振りを求められたり、「さしすせそ」を使って男性をおだてたり…「無知な女性」を演じたことのない女性はいないのではないでしょうか。

現代日本のベースにそのような価値観が依然として残っており、女性が辟易としているところに「美術館女子」と遭遇したからこそ、「また女を無知に描くのか」と批判が殺到したのではないかと感じました。

もうちょっと続く⇒

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