社会的なパグ

フェミニストなのに広告会社にいる。迷いながら生きています。

「美術館女子」に思ったこと④

最近は、ジェンダー観がアップデートされていない出来事に対して「これはおかしい」と声をあげることが是とされる空気にようやくなってきて、わたし自身ものすごく励まされます。
わたしは結構、なにかもやっとした時に「わたしがものを知らないだけで、これが普通なのかな」とそのまま通り過ぎてしまって、3時間くらい経ってから「考え直したけどあれってやっぱりおかしくない?」と思うことが多くて、その場でぱっと言い返せなかった自分の鈍さにがっかりするのですが、最近のSNSを見ていると「やっぱりわたしだけじゃないんだ」「もやっとするのは普通のことだったんだ」と思ってほっとすることがとても多いです(そして、もやっとしたときに立ち止まる癖をつけないといけないな、と思います)。

一方で、声をあげる側が活発になっていくのに対し、声をあげられる側には結局意図が伝えられず、環境が変わっていかない…という印象もあり、歯がゆいです。

声をあげられた側がよく言う「不快な思いをさせてしまい申し訳ありません」構文を見ると、ああまた伝わらなかった…とがっかりします。
確かに不快に思ったから声をあげているわけですが、謝罪文では「なぜ」「どの点が」不快だったのかを具に解説しておらず、「なんかよくわからないけど怒られたから取り下げ、謝罪してその場を収めておこう」という意図を感じてしまいます。
自分がそもそもどんな意図で行ったのか、声を受けてどう感じたかの記載もなく「怒られたから謝っている」ため、なんだか怒っているほうが悪いかのような錯覚を起こしてしまう時もあります。


美術館女子のWEBサイトには「次回以降の連載については、さまざまなご意見、ご指摘を重く受け止めて、改めて検討していきます。」という言葉があり、ちょっと様子見の状況かと思います。
個人的には「AKBと一緒に学ぼう」という方向に企画を練り直して再出発してほしいですが、どうなるのかな。建物だって「いかに美術品を美しく見せるか」という建築の意図はとても面白そうだけど。AKBは劇場を持っているので、そこも引き合いに出しながら話していけば充実したトーク内容になるのではないでしょうか。


つらつら書いていた通り、そもそもどういう意図でこの企画が作られたのかがわからない以上、なんとも言えないのですが…多分深く考えずに「美術館女子」とネーミングしただけなのに(それが良くないんだけど)、twitterのトレンドにあがるくらいまで、ものすごい量の批判が出てきて、それをプロジェクトチームの数人で受け止めるのは結構つらいだろうなとも思うんです。
もちろん、これだけの声があがる出来事だということは受け止めてほしいのですが、時代の空気に敏感になれなかった個人の責任はありつつ、ベースにはこの空気を作り続けてきた社会全体の責任だと思うので、特定の人を責めるのではなく、世の中の空気を変えるひとつのきっかけになってくれるといいなと願うばかりです。