社会的なパグ

フェミニストなのに広告会社にいる。迷いながら生きています。

いしわたり淳治に物申したい

「じゃあ、またね」と言って彼の家を出た。
彼は半分寝ているような状態で、あーとかうーとか呻いていた。一応彼なりに見送っていたのだろうかと少しでも前向きに捉えてドアを閉める。
日中はまだまだ暖かいけれど、夜が明けたばかりの空気はひんやりしていて秋の到来を感じさせる。レースのワンピースは生地が薄くて、腕をさすりながら駅までの道を急いだ。

 



駅のホームにはオールして力尽きたであろう大学生や接待明けのサラリーマンなどがちらほらいて、当たり前だが一様に気怠い顔をしていた。自分が浮いているような気がするのは、明るい色のワンピースのせいか。
昨日のために選んで選んで購入したワンピース。清楚なデザインのそれは自分のキャラではないのは百も承知であったが、それでも自分を変えられる気がした。

一緒に夕ご飯を食べて、お酒を飲んで、そのまま彼の家で一夜を過ごした。
そうして今、始発を待ちながら駅のホームにいる。

これでよかったんだろうか?

わかってはいたことだけれど、「好き」だとも「付き合おう」とも言われなかった。
「またね」と言ってバイバイしたけれど、恐らく「また」は来ないんだろう。
それでもいい、と決めたのは自分だ。

それでも、自分の中に昨夜の感覚が残っていることに高揚する。
彼が触れたところに意識を向けると、いま触られたように鮮明に感覚がよみがえる。
彼が自分の中に入ってきた時の感覚がいまも続いているような気がする。

このまま時間が進まなければいい。彼と同じ布団の中で彼の温度を感じていたい。
自分もまだ半分夢の中にいる。気持ちだけは、昨夜の夢の中にまどろんでいる。

始発の電車がやってくる。
名残惜しい気持ちを彼の家に残したまま、電車に乗りこんだ。

どろどろとした熱い気持ちはまだ、胸に留まっている。
誰にも気づかれないまま、いつか消えてしまうのだろうか。

 

*****

 

年末の関ジャムで、過去にいしわたり淳治さんが吉澤嘉代子さんの「残ってる」を紹介した部分を再放送していたんだけど、わたしの解釈と全然違うなと思って、自分が思う「残ってる」を書いてみた。
わたしが受け取った曲のイメージは「報われない恋」でした。
(実際にどういうイメージで作曲したのかは知らない)

いしわたりさんが基本ロマンチスト方向だ、ということもあるんだろうけど、「残ってる」の解釈がこんなに違うとは。
わたしがこの歌を聞いた時にまず感じたのは、「からだの奥にあなたがまだ残っている」という言葉の生々しさだった。「行かないで」と昨夜を名残惜しむ声は、縋りつくような必死さをまとっていた。

もちろん、女性の中でもいろいろな解釈の違いがあるのだろうけれど、その時いしわたりさんとわたしとで決定的に違うのは、他者を自分の身体に入れたことがあるかどうかという。そこで起きる相違なのではないかと思った。