社会的なパグ

フェミニストなのに広告会社にいる。迷いながら生きています。

自分の人生を生きる

「あのこは貴族」に描かれていた
東京と地方の断絶
生まれた家による断絶
男と女の断絶
そして女同士のゆるやかな連帯。

どれも、わたしは知っている。

 

 

わたしはサラリーマンの父と、専業主婦の母のもとに生まれた。
東京で生まれ千葉で育ち、都内の中高一貫の私立の女子校に通い、大学受験で慶應に進学した。
大学入学の日、内部進学生達の既に馴染んでいる雰囲気は映画に描かれていたまさにそれで、うわぁ…となんとも言えない気持ちになったあの感覚を思い出した。
とある友達からは箱入り娘のお嬢様のように見られることもあったけれど、でももっと上流階級の友達の暮らしも知っている。
わたしは華子であり美紀である。

 

原作者の山内マリコさんが以前対談で「調査したところネイティブの東京人は高校閥が一番幅を利かせている」と話していた。生粋の東京人とは言えないわたしだが友人の9割は中高の同級生で非常に身に共感する。卒業してから10年以上が経つが、コロナになるまでは毎週末誰かと遊んでいたりした。

在学中はあまり接点が無かったのに、卒業してから仲良くなる子が多いのも不思議なところで。でも仕事で苦しいことも大袈裟ではなくみんなが話を聞いてくれるから乗り越えてこられた。
それはこの映画にあったような連帯だと思う。

 

わたしたちはいつでも手を取り合える。
友達じゃなくても、どの階層でも、どこに住んでいるかわからない相手でも
わたしたちはつながれる。
その確固たる自信があるから、わたしたちは前へ進むことができる。

 

シスターフッドが美しく描かれる一方で
家父長制から抜け出せない男がいる。

 

あからさまな女性蔑視な発言は全くしないし、側から見たら多分「めちゃくちゃいい夫」だ。多分おうちに遊びに行ったら、普通に馴染んで話も弾んで、好感度も高い気がする。
それでも男性社会の呪いに縛られているだけで、時にものすごく遠く感じたりもする。

 

自由になった華子を見て彼は何を思っただろう。

自分には無理だと男の呪いの根の深さに絶望したのか
それとも、その姿に一縷の希望を見出したのか。

 

わたしたちの国はどちらに向かっているのか