社会的なパグ

フェミニストなのに広告会社にいる。迷いながら生きています。

以前通っていた心療内科に予約の電話を入れた。
コロナで足が遠のいてしまっていた病院だが、相変わらず満員御礼のようだった。事務員の女性が淡々と二週間先の空き日程を伝えてくる。

 



最近まで、すぐ予約できる違う病院に通っていたが、あまり話を聞いてくれなかった。まだ言いたいことの半分も話せていないのに、話している途中で処方箋の印刷をしているのがバレバレだ。
その点、以前通っていた病院は話をじっくり聞いて処方をしてくれた。もし話を聞くフリだったとしても、「話をきちんと聞いてもらったうえで処方された」と思えることが大事だ。わたしがつらいと思っている出来事を、「大したこと」として、ちゃんと重々しく受け止めてほしい。
しかしだからこそ、そんなふうに一人ひとりに時間を割く病院はなかなか予約がとれない。本当はつらいから今すぐ話を聞いてほしいのに、ままならない。

もしかしたら二週間後には気持ちが落ち着いていて、医師に大したことないと思われてしまうかもしれない。診察時にこの気持ちを忘れずに話せるように、スマホのメモ帳を開く。臨場感をもって今のこのつらさを伝えられるようにしたい。

「仕事のことを考えると憂鬱で、休日もふとした時に仕事のことを思い出してしまう。心臓が掴まれたように緊張して、不安感に襲われる。そうこうするうちに土日なんてあっという間に終わってしまって、リフレッシュできないま次の週を迎える。まずはこの不安感を落ち着けたい…」

そこまでメモをとったところで、ふと我に返る。なにがわたしをそんなに憂鬱にさせているのだろう。
社内のプロジェクトチームのメンバーが嫌いで、そいつらと話をしないといけないから?やつらのことを嫌いなのは、彼らが人によって態度を変えているから?わたしに対しては偉そうな態度をとってくるから?若手の女性社員である自分には、キツく当たってもいいと思っているのが透けて見えるから?業務連絡を伝えたら必ず言われるであろう嫌味に備えて、返答のシミュレーションをしている時間が、人生において無駄に感じられて仕方がないから?

どこの職場にだって合わない人の一人や二人、いる。そこに不満を言うほど子供ではない。
実際、以前所属していたチームにも「ラスボス」のように立ちはだかり、無理難題を課してくる男性がいた。しかしその時は、チーム一丸となってラスボスが繰り出してくるミッションを解決しようと努力できた。ラスボスのことは嫌いだったが、ラスボスのお陰でチームは一致団結していたとも言える。
いまはチーム内が敵になってしまって、味方がいないような気がする。もしかしたらわたしは孤独を感じていて、なにかあったときに相談できる人、信頼できる人がいないことが不安感につながっているのかもしれない…とひとつ結論付けた。

なにか笑えるものを観たくてテレビを点ける。ちようどお笑い芸人が台本無しで本音をぶっちゃけるようなトーク番組が流れていて、その中である芸人が「本当は嫌だけど、仕事だから無理矢理番組の意図に沿ったような発言をしている」というような話をしていた。
この人が自分の気持ちに蓋をして道化を演じているつらさに比べたら、わたしのつらさなんて大したことないかもしれない。みんな何かしらつらい気持ちを抱えているのだと思うと、少し気持ちが軽くなるような気もする。
一方で、わたしのつらさも、あのお笑い芸人のつらさも、本当は感じる必要なんてないんじゃないかとも思う。偉そうな人なんていないに越したことはないし、本音を捻じ曲げた発言だってしないに越したことはない。そんなつらさを感じなくてもいい社会が、正常だと思う。

他人のつらさで自分の気持ちを慰めることは本当の解決にはならない。でも根本的な解決を求めるにはあまりにも気が遠すぎる。