社会的なパグ

フェミニストなのに広告会社にいる。迷いながら生きています。

家族の長が夫という固定観念が未だに根強い

ピエール中野さん(以下、ピ様)の「#キリトリ線2」を読んでいます。

ピ様がインスタのストーリーズで回答していった悩みをジャンル別に再編集して一冊の本にした、という成り立ちで、これを読めば大体の悩みは解決するし励まされるとても便利な本です。

その中で結婚に関してピ様が回答している項目があり、そこには
 ・家族というチームのリーダーとして家庭を守るのが夫
 ・なので、チームのリーダーがモテる理論も立証できる
旨が書いてありました。

ここだけ引用してごめんなさい。でもこれだけは違う(場合による)と言いたい。

もういい加減「夫=リーダー」と断言するのはやめませんか?

もしわたしが「夫くんはリーダー頑張ってるね」と誰かに言われようもんなら「ハァ!?わたしだってリーダー頑張ってるんですけど!?!?」とめっちゃ噛みついてしまうでしょう。

ピ様夫妻がそれで成り立ってる(と思ってる)だけで人それぞれだと付け加えて欲しい。妻がリーダーの家庭だっていいじゃないか。リーダーを支えるサブリーダータイプの男性だって令和の世では絶対にモテる。
(と言いつつ、複数人からモテることを正義とするのもいい加減やめたい)

ていうか、そもそもリーダーとはなんなのか?
家庭を守るとはなんなのか?

先日読んだジェーン・スーさんの本の中で、スーさんと対談していた田中俊之さんが「結婚とは、倒産させない前提の会社を二人で運営するようなもの」と話す一説がありましたが、そこに当てはめると我が家の場合は社長が二人いるような感じです。
実際の会社で社長が二人いたら覇権争いで潰れるかもしれませんが、我が社は社員が2人なのでいまのところは合議制でうまく運営できています。

家を買う際にローンを組んだのは妻のわたしだし、世帯主はわたしなので、公的な手続きの際に矢面に立つのはわたし。でももちろんそんなのは名義でしかない。
家計を支えるのがリーダーならばそれは二人とも。夫婦共働きで頑張って生きています。
料理・洗濯・掃除などの家事はできる方がやるので半々。どちらかの仕事が繁忙の時にはもう片方が率先してやっています(そのため、二人とも忙しいと一瞬家の中がぐちゃぐちゃになる…w)。
なにかを決めるときにはもちろん二人で話し合って決めるし、弱ったときに精神的な支えになるのがリーダーならばそれはお互いがお互いを支えあっている(はず)。

ピ様夫妻は、二人とも活躍する素敵なミュージシャンです。なので家計を支えるリーダーは二人ともでしょう。ピ様や大森靖子さんのインタビューを読んでいると家のことも子供のことも二人で参加して運営していることが伺えます。
もしかしたら大森靖子さんの方がメンタルに波があるのが目立つので、精神的にはピ様の方がフォローしているように見えることが多いのかもしれない。けど、ピ様だって支えられてるはずじゃないか(あくまでも想像だけど)。

また、わたしの実家を例にしてみます。うちは一昔前の典型的な「働く父、専業主婦の母、娘のわたし」の核家族でした。パッと見は父がリーダーに思えるかもしれないけれど、母の決裁が無いと可決できない事例が多々あったことを思い出すと、やはり双方リーダーじゃないかと思うんです。

あくまでも自分の周りの事例だけど、リーダーって簡単には言えないよなあと。
実際夫もしくは妻どちらかがリーダーを一任されている家庭もあるのかもしれないのですが、うまく運営している姿があんまり想像できないんですよね。
(いらっしゃったらごめんなさい。どういう運営をしているのかをぜひ教えてください)


別にピ様がそういう考えでいるのはいいんです。
人の意見はそれぞれだし、「#キリトリ線」だってあくまでもピ様の意見をまとめた本です。
でも一方でせっかくの「#キリトリ線」なのに、とも思うんです。
何かで悩んだ人が、自分の人生の参考にしたい、と本を読んだ時に、結婚に関して夫の役割をひとつに規定してしまったのがすごく残念だなと思って。。


家族=チームという考え自体はその通りだと思うし、自分もチーム(会社)をうまく運営するひとりでありたい。
平たく言えば「チームの在り方は人それぞれなので、自分なりのやり方でチームを作ろう」っていう話だし、令和ではそれが市民権を得られるといいなと思います。