社会的なパグ

フェミニストなのに広告会社にいる。迷いながら生きています。

ラジオは「なんでも言っていい」メディアじゃないよね

ナインティナイン岡村隆史さんのオールナイトニッポンでの発言が話題になっています(悪い意味で、、)。

要約すると
●コロナ明けに、短期的にお金を稼ぎたい可愛い女の子が風俗に流れてくる
●コロナ明けにはそんな面白いことが起きるのだから、それを楽しみに、今は家にいてお金を貯めてぐっと我慢しよう
ということなのですが。

岡村さんとしては芸人らしく笑いを交えて「家にいろ」を呼びかけたつもりなのでしょうが、「コロナで困窮した人を笑いのネタにするな」という趣旨で炎上したのかなと解釈しています。わたしも大いに同意します。

今回、さらに悲しかったのは「別にラジオだからいいじゃん」という声がツイッターで多く見られたこと。
いつからラジオってそんなに人を傷つけるメディアになったの?そんなわけないじゃん。

ラジオは相互でやり取りできるメディアだから、話し手と聴き手の距離が近くて、クラスの仲良しの友だちと話しているような「身内」感があります。
それがラジオの魅力だし、わたしだってそれがすきでラジオを聴いています。
でもそれが「ラジオは身内なんだから何を言ってもいい」に解釈されるんだったら、そんなラジオ無くなってしまえばいいと思います(そもそも、リアルだろうとラジオだろうと、身内だからって何を言ってもいいわけじゃない)。

ラジオに励まされたことはたくさんあって、311の東日本大震災のときには特に顕著に感じました。サンドウィッチマンのANNが急遽放送されて、その日は同時間帯裏番組を担当するバナナマンも「今日はサンドのラジオ聴きなよ」って言ってくれたりとか、ライムスター宇多丸さんのラジオで「人間舐めんな!」ってテーマでみんなで励まし合ったりとか。何話したのかは正直忘れちゃったのですが、ラジオってあったかくていいなーと思ったことはよく覚えています。

まあこれは極端な例なのですが、普段の童貞いじりだって「中学生の頃にこんなイタイことをしていた」という、こっ恥ずかしくて自分でたまに思い出してアアア…と頭を抱えるような出来事をみんなで笑って消化できるなら楽しいじゃん、っていう、そんな気持ちで聴いています。
コロナのこの時期も、友だちと無駄話して鬱々とした気持ちが晴れてスッキリした~楽しかった~って気持ちでラジオを重用しています。

今回の岡村さんの発言って、みんなで共有して寄り添えるような発言では到底なかったな、という感想です。
もしかしたら岡村さんのラジオリスナーの中にも、まさにコロナでお金が無くなって途方に暮れている人がいるかもしれません。そんな人が、せめて楽しい気持ちになりたくてラジオを点けた挙句にこんなことを言われたら…と想像するともう泣きたい。

これを「ラジオはゲスな話をするメディアなんだから、これで文句言うやつはラジオ知らないバカ」みたいに感じる人がいるのなら、それはラジオをはき違えていると思うし、一部の人を傷つけるような空気作りを容認してきたメディアの罪だと思います。わたしたちは声をあげていかないといけない。
(正直、佐久間さんのANN0を聴いていても、基本楽しいんだけどもやっとすることがあったりして、”古き良き”時代の倫理観を押し付けてきてるなーって思う事があります。つい流しちゃったりもするけど、やっぱりいちいち突っかかっていかないといけないなと改めて思いました)


あと、もやっとしたのは、「普段風俗にいないような可愛い女の子」が風俗に流れてくるから楽しみ、というところ。女の子の価値が可愛さで増減する、そして自分がそれを取捨選択できる、という典型的な考え方。テレビはずーっとこの空気を容認して、生み出し続けてきたけど、でももう変えていかなきゃいけない。
しかも「普段の風俗嬢の人はそんなに可愛くない」というような前提なのかな…?岡村さんはラジオでずーっと風俗好きを公言してきて、お世話になっているにも関わらず、そんな失礼な言い方をするのか…と思うと残念でした。


「いまは濃厚接触になるから行けないけど、コロナ明けで風俗に行くのを楽しみに、我慢しましょう」だったら別に良かったんじゃないかなと思います。なんならいま我慢した分、久しぶりの風俗はさぞかし良いものに違いない、くらいに言ったらよかったのに。