社会的なパグ

フェミニストなのに広告会社にいる。迷いながら生きています。

【広告】マティアス&マキシム × 溺れるナイフ

9月25日に公開される映画「マティアス&マキシム」のプロモーションの一環が(悪い意味で)話題になった。
対象になったのは、映画のキービジュアルを漫画家のジョージ朝倉の人気作「溺れるナイフ」の登場人物に置き換えたコラボイラスト。

 

「溺れるナイフ」がグザヴィエ・ドラン最新作とコラボ、ジョージ朝倉描き下ろし(コメントあり) - コミックナタリー

 

これに関しては炎上したポイントは明確で「同性愛を異性愛に置き換えたところ」。
映画は2人の男性が友情と恋の間で揺れ動く、というストーリーだそうなのだが、それを「溺れるナイフ」のキャラクターに置き換えたことで「現状では同性愛者は異性愛者とは全く違う環境に置かれているのに、その問題を無視するのか」という批判が起きた。


ただ、個人的にはこれを見た第一印象は「意図がわからない」だった(溺れるナイフも読んでないし…)。なので批判している人の言っていることもわかるような気がしつつ、善し悪しが判断しにくいなと思った(そういう意味では「説明が足りない」のが良くなかったのかな、とも思うが…)。

どのような意図でこうなったのかを想像すると、下記の2つの可能性が挙げられる。
①単純に配慮が足りなくて映画のターゲット層にも人気そうな漫画をチョイスした
②敢えて男女のカップルにすることで「恋愛に同性も異性も関係ない」というメッセージを送る

①のように配慮が足りない場合は出直してくれって感じがするが、「ジョージ朝倉にキービジュアルを描き起こしてもらう」という施策であれば上記のような批判は起きなかっただろう。

 

ただ、今回は②のように、敢えての同性愛と異性愛を並列にしたのではないかと個人的には思っている。

公開初日の本日、監督は以下のようなコメントを発表した。

これは同性愛がテーマの映画ではない。偶然のキスをきっかけに、相手を愛してるかも知れないという感情が芽生え、戸惑う。性別にかかわらず、恋と友情のはざまで揺れる感情っていうのは、誰もが一度は経験したことがある感情だと思う」と述懐。そして「例えばヘテロセクシュアルの映画を問題視したりしないよね。『異性愛者の素晴らしい映画を観たよ』なんてあえて言わない。だからこれも特別じゃない、ただのラブストーリーとして観てほしい

グザヴィエ・ドランが新作の“もっともこだわった”キスシーンを解説 - 映画ナタリー

 

一行目で「同性愛がテーマではない」と言い切っている。
さらに映画WEBサイトを見ても「恋と友情の間で揺れ動く」という表現はあるものの、「社会と自分との気持ち」で揺れ動いている説明は無い(映画観てないからわからないけど…)。


「まだ社会が成熟していないのにこのような発表をするのは無神経」という声もSNSではちらほら上がっていたが、まだ未成熟な社会だからこそ、未来の当たり前の形を理想として描くのはひとつの手法としていいのかなとも思う。
ただ、まだ社会が成熟していなかったからこそ、ここまで批判が起きているわけで、今回このようなポスターに至った想いを併せて伝えることで作り手と受け取り手の意思疎通ができたのではないだろうか。

だいぶ前の話になるが、漫画「はいからさんが通る」の新装版が発売された際の注釈が非常に高評価を得ている。

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当時の偏見などをそのまま描いていることに対し「それに反発する主人公を描くことで問題提起していること」「表現を削除することでその差別をなかったことにしたくない」ということを真摯に説明している。

監督のコメントも併せて出したらこんなに批判されなかっただろうに、批判されたからコメント出したのかなあ…
しかしキスシーンも素敵で非常に心惹かれるのであった。